いざ、出発
2001年7月16日(月)
前日は荷物や日程の確認で遅くなり、またなかなか寝付けず午前2時に寝たのに、朝は5時には目が覚めていた。子供が遠足へ行くときの様だ。快晴で家の窓からは久しぶりに富士山が良く見える。いよいよ富士登山実行の日だ。雅を6時に起こすとすぐに起きる。雅も前日なかなか寝られなかったみたいだ。尭は学校があり、いつものように7時に家を出ていった。着替えと朝食を済ませ準備万端、7時15分に雅と2人で家を出発し車に乗る。平日だが道は空いてた。国立府中インターより中央自動車道に乗る。1ヶ月前の予行の時と同じく談合坂サービスエリアで10分ほど休憩、昼食のおにぎりを買いたかったが売り切れ。山小屋で買って食べた方が、荷物の軽減になると思いあきらめる。河口湖インターから東富士自動車道に入る。

東富士自動車道の車中から撮影(河口湖インター付近)
快晴で運転しながら正面に素晴らしい富士山が間近にみえる。以外と頂上が近くに見える。緊張する。時計の高度計を見ると約1,000m。この時計はけっこう役立ちそうだ。須走インターで高速を降り、ふじあざみラインに入る。ここに入る道は少しわかりにくく、予行では間違えた。つづら折りの道を登り一気に走るが傾斜がきつく、私の車(ユーノス500、2,000cc)でも1速で走行する事もある。たった30分、標高2,000mの須走口5合目に9時20分に着く。ここの駐車台数は150台程度と少なく路上駐車もできないので心配していたが、平日なので駐車場は空いて、予行練習で来た時と同じ第2駐車場へ入る。車で一気に2,000m上がってきたので高山病予防のためにも、5合目に着いたら30分以上体を慣らす必要があるそうだ。焦る気持ちを抑えてゆっくり準備をする。

(須走口5合目駐車場。談合坂で買ってきたポテトチップスの袋がぱんぱん。平地の3/4の気圧。)
暑くなかったので2人とも半袖のTシャツを脱ぎ、長袖のシャツに着替え、登山靴に履き替え、日焼け止めクリームを塗る。はやる気持ちを抑え、装備の最終確認をしてリュックを背負い準備完了。須走口5合目山小屋の菊屋で富士登山定番の金剛杖を買う。女性用の短いものがあり子供にも丁度良い長さだった。これは途中の山小屋で200円程度で焼き印を押してもらえ、記念にもなる。自分は登山家気分の伸縮できるLEKIのステッキを持つ。菊屋のおばちゃんに「今日は風が強いから気をつけて」と言われる。強風は富士登山には危険であり少し心配になる。

(富士須走口5合目の登山口)
登山開始
登山道入り口で記念写真を撮り10時ジャストにいざ出発。予行でここまでは来ているし、インターネットで多くの登山記録を見ているので意外と落ち着いて出発できた。長丁場だし、高山病予防のためにもとにかくスローペースが必要である。いつものように雅が先に歩くが何度も、「ゆっくり歩く」「大きく息を吐く」と指示を出した。須走口は植物限界より下ではじめは樹木も多く、緑豊かな登山道が続く。傾斜はあるが、トレーニングのせいか、ペースを遅くしているためか、足の負担はなく、楽しく歩ける。心配していた左膝の痛みは無く、右膝に若干の違和感がある。登山用ステッキは足の負担が少なくなり楽である。時々雅の金剛杖と交代するが、金剛杖の方が少し重く握りにくかった。途中本5合目までは後続の3組みの男性パーティーに抜きつ抜かれつ。先行の1組の5人のおばさんパーティーに追いつく。林の中なので風はあまり気にならなかった。時計の高度計はほぼ正確な数値を出し、目標になった。歩くとどんどん数値が上がっていくのが嬉しい。雅も「今何メートル」としょっちゅう聞いてくる。登山道の左に脇道があり雅が登る。そこからは下山道の砂走り5合目が見えた。明日はあそこに無事にたどり着きたいと思う。単調な林の中を登って行く。


(本五合目林館前)
本5合目(標高2,400m)に11時30分に着く。出発してから1時間30分かかった。数分の小休憩を数回とっただけなのに予定時間より30分もオーバーしたのはショックだった。他のパーティーが「えっ。まだ5合目?恐るべし富士山」と言っていたので「ほんとほんと」と相づちをうつ。ここの林館は週末とお盆だけやっているて、今日は閉まっているのは分かっていたがちょっと寂しい。次の山小屋はちゃんとやっているのか?昼食は買っていなかったので少し心配。でもカロリーメートなどの非常食があるから大丈夫。メントスはズボンのポケットに入れ時々食べる。自分が食べたくなり雅に「メントス食べる」と聞くとほぼ「食べる」と言って小休憩を取る。同時に水も補給する。水はリュックの両サイドに500mlのペットボトルが1本ずつ入れていて、リュックを降ろさず飲める。熱射病や高山病予防にも水分は多めに取る必要がある。長袖を着ていて快晴だが木陰を歩いているし気温もそれほど高くないので少し汗をかく程度だった。


(6合目瀬戸館前)
6合目瀬戸館(標高2,600m)には12時45分(本5合目より1時間05分)で着いた。初めての山小屋だ。まず金剛杖にスタンプを押してもらった。ここは焼き印ではない。さすがにお腹が減っていて昼食にする。ラーメンとうどんを注文。うどんは「赤いきつね」でラーメンはインスタントそのものだった。それぞれ600円。でもおいしかった。雅と半分ずつ食べる。天気も良くベンチには布団が干してあった。ベンチに座るって景色を眺めると山中湖や雲が下に見えとても良い気分だった。「もうこんなに登ってきたんだ」と二人で感激する。今までは林の中が多く下の景色はあまり見えなかったし、ゆっくり休んで景色を見ることもなく登ってきた。ここまで順調。小屋の中を見ると蚕棚のようなベッドがあり、「こんな下の山小屋に泊まる人もいるのかなあ」と思った。また少し小さく汚い感じもした。ここではゆっくりしたいというより、先を急ぎたいという気持ちが強かった。昼食休憩35分して、6合目を13時20分に出発した。(予定50分遅れ)6合目を出発して100mも行かないうちに雅が「お腹が痛い」「もうダメ〜」の泣き言を何度も言い出す。10mも歩くと座り込んで「うとうと」しだす。頭も痛いと言う。しまいには本当に涙を流している。標高2,500m以上の高地で、頭痛・嘔気・嘔吐・腹痛・眠気等の症状があれば高山病で雅は高山病の様だ。お腹を打診すると鼓調音。いつもなら「早くしろ」と叱りつけるところだが、高山病の時はとにかく休憩を充分にとって、深呼吸を何度もさせ無理しないことだ。改善しなければ、ここの6合目に泊まるか下山をするしかない。自分は何ともないので出来ば宿泊予定の本7合目まではなんとか行きたい気持ちである。雅に「もう止めるか?」と聞くと、いつもなら、特に勉強の時はすぐに止めると言うのに何も返事がなく、「そろそろ頑張って行こうか」と声をかけると不思議と立ち上がって少し歩き出し、また座り込むの繰り返しだった。他の登山者とは全く合わなかったが、やっと7合目の山小屋が近くに見えて来たとき、先ほどのおばさん5人パーティーの1人に追いついた。おばさんは筋肉痛で歩けなくなり、湿布を足に貼って這うように歩いていた。そして「7合目に着いたら他の4人に先に行ってくれと伝えてほしい」と言われた。おばさんよりも、我々のペースの方がわずかに早く7合目にたどり着く。


(7合目瀬戸館)
7合目太陽館(標高2,900m)に15時30分に到着。6合目から2時間10分もかかった。(標準所要時間は50分)おばさんパーティーの1人に先ほどの伝言をすると、「7合目に着いた1人は嘔吐、もう1人も高山病がひどく、8合目で宿泊の予定だったが今日はココに泊まることにした。」と言われた。山小屋を覗くと土間におばさんが2人倒れ込むように寝ていた。自分は雅のスローペースで高山病も無く気がつかないが、みんなも結構きついようだ。富士登山でリタイヤする人の多くが高山病であること書いてあったが、それを実感した。その元気なおばさんに雅も高山病だと言うと「息を沢山はいてごらん、すると自然と息が沢山入ってくるでしょう。」と呼吸法を教えてくれる。疲れてくると自然に呼吸が浅くなってしまうようだ。富士に登るといろんな人にいろんな事を教えてもらえる。我々の宿泊予定は本7合目で、あと350m高度を上げる必要がある。雅も具合悪いし、さらに高度を上げ宿泊することは良くないのでは、と考えていると、雅は「早く行こうよ」と今までの具合が悪かったのが嘘のような口ぶり。高山病が少し良くなったのだろうが、辛いのは自分だけでなく、他人ももっと辛いのだと分かったて元気が出てきた様だ。精神的なものもかなりあるのではないかと思う。7合目では10分休憩しただけで出発する。


(下に7合目瀬戸館が見える)
休憩する回数は多いものの、休憩時間はほんの数分づつで、順調に高度を上げることができた。そして次の山小屋が宿泊予定で、そこまでたどり着けば今日はもう歩かなくて良いというと思うと気分的にも楽だった。自分は特に足も痛くないし、高山病の症状もない。まわにの樹木は無くなり少し草が生えているだけだが、登山道は比較的歩きやすい。陽が少し傾き暑さは無かった。


(7合目から本7合目の途中、「見晴館まであと5分」の看板から見晴館まで15分かかった。みんなも10分以上かかったと言っていた。小屋のご主人は5分で行けるそう。)
山小屋宿泊




(見晴館からの景色。左上は山中湖、雲の切れ目の先に都心が見える)
本7合目見晴館(標高3,250m)に17時00分に到着。やっと着いた。2人とも元気である。山小屋には誰もいない。中に入ると若いおかみさんが「宿泊者の1番乗りですよ」と言われる。エッ、もうこんな時間なのに。宿帳を書き前金7,350円(1泊2食付き)×2人分を払う。今日は宿泊予定者も少ないらしい。この山小屋は出来てから6年で新しく木の香りがするログハウスの様の作りである。トイレは外の別棟である。クレゾールに臭いはするが臭くはない。荷物を降ろし山小屋のベンチに座る。6合目の昼食以来あまり景色を気にすることはなかったが、ここからの眺めは6合目よりずっと高く感じられるし、雲の上にいるようで最高の気分。よくここまで登って来た。今日の疲れも吹っ飛んでしまった。須走口は富士山の東側でこの時間、陽は富士山の陰になり寒くなってきた。山小屋のこたつに入り雅は暖かい「おしるこ」を頼む。カップ汁粉で300円、少し飲ませてもらったが甘さと温かが口に広がりとてもおいしい。雅が「東京は今暑くて35度ぐらいで、ここからも見えいるのに、僕たちは、こたつでおしるこ飲んでいるのが最高なんて言っているのは、なんかおかしいね」と言い、2人で笑う。富士登山は日本一の頂上に立つこという征服感や達成感を得るだけでなく、バーチャルではない異次元を体験できる。これは登ってみないと分からない感覚だ。夕食まで時間があり畳の部屋(食事をするところ)でのんびりしていた。明日の予定表や地図を見るが、瞼が自然と下がってくる。途中数人の若者が焼き印を押しに小屋に入ってきたが、あとは静かだった。夕食は6時半。富士山山小屋定番のレトルトカレーだ。容器もプラスチックだが、とてもおいしかった。食べているとお客さんが1人山小屋に入ってきた。体格の良い70才を越えた人で富士登山は今回で20回目で、5合目からここまで4時間10分で来たそうだ。金時山にも300回も登っていて、昨日も登ったそうだ。毎回この山小屋に泊まるそうで山小屋の女将ともなじみの人だった。6時半頃大学生ぐらいの人が予約なしで宿泊してきた。もう少し上まで行こうかと思ったが疲れたて寒くなったので泊まることにしたそうだ。ここまで4時間。その後2人の老夫婦が到着した。今日はあと3人の女性の予約が入っているだけのようだった。夕食後はテレビをのんびり見ていた。特に天気予報が気になった。明日の天気は大気の状態が不安定と言っていた。少し不安になる。天気がぐずれるのが一番困る。みんなで「ご来光はむりかなー」と話した。そのあとNHKで富士山の低周波地震の事をやっていたので見ていた。食後、今まで体は何ともないと思っていたが体が重く軽い頭痛がした。あわてて意識的に深呼吸をする。雅がもう寝たいと言うと、女将さんが寝る場所を案内してくれる。食事をする反対側の部屋に2段になった寝床が廊下を挟んで2列ある。枕が等間隔に並べられていて、布団は2人に1つ。一番乗りの一番早寝だからか一番奥の2階の場所を指定される。中腰で天井に頭が届く。荷物は上の台に乗せる。雅は下着とシャツを着替える。自分はシャツだけ着替えて寝床に入ってみる。枕は小さいが布団はフカフカでシーツもきれい。発電器の音がすこし耳につくが、なかなか快適であった。少し雨音がしたので雅と1言2言声かわすがすぐに静かになり、2人とももすごく疲れているのか睡魔が襲い、あっという間に寝てしまう。

(見晴館寝床。2段になっている。蚕棚のようだが、山小屋風できれい。)
夜中のパニック
ひどい雨音で目を覚ます。時計を見ると10時半。2時間半ほど寝たようだ。それにしても激しい雨音と風、遠くで雷の音も聞こえる。頭の上が山小屋の屋根だから雨音が大きいのは仕方がないが、それにしても激しい雨と風。洪水で小屋ごと流されてしまうのではないかと思うほど。事前に一番心配していたのが雷と強風なのに...。そして自分の全身が汗びっしょりになっているのに気付く。布団の中の体は熱いが気温は低く、額や頬を触ると氷の様に冷たい。起きて下着を着替えたい、せめてタオルを取りたいと思うが、隣には別の宿泊者が寝ており、また上の棚に置いた荷物を取る気力すら無い。頭痛と軽い吐き気もある。恐れていた高山病の症状が自分にも出てしまった。睡眠中は呼吸回数が減り高山病になりやすいと言うことは知っていたが、ここまで何ともなかったのでショックで、精神的にパニック状態。明日も雨だったら当然登頂は無理だし、天候が回復してから下山するか、明日一日雨ならもう一泊ここに泊まらなければならない。天候次第で山小屋にもう1泊はしかたないと考えて日程には余裕をもっていたが、明日は山中湖に宿泊は取っているし、ここでは風呂に入れないので明日は下山して汗を流したい。今までずっと天気や良かったのに、何でこんな天気の悪いときに来てしまったのか。自分一人なら何とかなるが子供の事が気になり、富士山に来てしまった事への後悔が頭の中を巡る。子供の体と額に触れてみるが特に平熱、よく寝ている。深呼吸を繰り返していると、また睡魔の中へ...。次に目が覚めたのは午前2時頃。雨音な無いが、ものすごい風の音。軽い頭痛はあるが、不思議と汗は引いて体も少し楽になっていた。隣に寝ているのは老夫婦で小声で「風が止んだらそろそろ出発しようか」と聞こえる。ご来光を山頂で見るにはこの時間に出発する必要があるのだが、この風では危険であろう。それに頂上へ行っても天気が悪くご来光も無理だろ。しかし勇敢にもこの老夫婦はしばらくして出発して行った。その後、逆に新たな宿泊客が2人ほどが寝床についた。こんな夜中でも宿泊に来るのが富士山の山小屋の特徴で24時間営業は大変だ。次に目覚めたのは4時少し前。4時半起床予定で眠気は無いが、起き上がり天気を見に行く気力も無いので、寝床の壁に座って寄りかかって天気の事を心配しながらぼんやりしていた。雅は熟睡している。
ご来光
4時20分、山小屋の女将さんが「ご来光の時間ですよ」と皆に声をかけてきた。えっ、ご来光!。昨晩あんなに雨が降っていたのに!。飛び起きてたい気持ちだったが、すごい寒さに気づき、リュックの中からフリースと靴下を取り出し着て畳の部屋へ。何人かが外でご来光を待っている。雲海はあるが天気は良い。絶好のご来光が見られそうだ。すぐに寝床に戻り雅を起こす。雅もすぐに起きてきて、防寒具を着込みむ。雅は長袖シャツ+フリース+レインコート、トレーナー+冬用のズボン、スキー用手袋、毛糸の帽子、自分も雨具兼ウインドブレーカーと毛糸の帽子をかぶる。山小屋のドアを開け外へ出る。高山で昨夜の夕立もあり空気は澄み切っていた。雲海の水平線の向こうがオレンジ色に輝いていて、上空はほぼ快晴。ご来光を見に山小屋の外に出ていたのは昨夜の老人、大学生、それにOL風3人組の女性合わせて7人だった。地平線上には少し雲はあったが素晴らしいご来光で、お互い写真を取り合って喜んだ。こんなに素晴らしい光景を子供に見せることが出来、本当に良かったと思った。ただ、自分はご来光の素晴らしさに感激するより、昨夜の悪夢から一転して、天気が良く登山が続けられる事でホットしていた。





山小屋出発
ご来光のあとすぐに老人と大学生は出発、われわれとOLのパーティーは畳でゆっくり休憩。子供と自分はこたつで宿の朝食を食べた。ごはん、のり、生卵、佃煮、お茶だ。雅は生卵をご飯にかけて残さず美味しそうに食べる。自分はまだ少し頭痛がするので食後ブチレニンを飲む。高山病で頭痛薬を飲むのは良くないと書いてあったが本当だろうか?。OLの食事は持ち込みで、おにぎりやバナナなどを食べていた。話を聞くと、OL3人組は関西から来て、昨日は河口湖で遊んでいて登山開始が遅くなり、また、5合目から6時間かかったらしい。昨夜8時すぎ、外は暗くなり雨が少し降り出してきた時に宿に着いたそうだ。あの夜中の豪雨の中での登山でなくてよかった。食後、日焼け止めクリームを塗ったり出発の準備をする。入り口に置いた金剛杖の焼印も確認。この山小屋では宿泊者には焼印は無料で、昨夜お願いしたとき他の登山者も「私のも押して下さい」と頼んでいた。みんな、金剛杖の焼印にはこだわっているようで面白かった。まるでスタンプラリーのようだ。5時半、予定より30分早く山小屋を出発した。